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読書や勉強したこと、思ったことをまとめたり紹介したりしつつ、労働や貨幣などにかんする問題に言及したいと思っています。
授業中睡眠の三因子仮説
 このブログに「授業中に眠くなる理由」を調べに訪れる方が多いようである。このテーマは、無論、以前書いたテーマである。今回は、そのときの議論を整理し発展させ、「授業中眠くなる原因には、3つの因子が複合的に作用している」という仮説を提示したい。難しそうな言い方だが、話はごく単純なものである。

もちろん、「1つの原因を絶対視したり、検討せずに原因を決めつける」ということは避け、いろいろな可能性を吟味したうえで、3つの因子が複合的に作用しているということを述べていく。

たとえば「授業が面白くないから眠くなる」という仮説がある(1)。この仮説を検討することで、三因子説を示したいと思う。「面白くないから眠くなる」仮説はあるていど妥当ではあるが、それだけがすべてであるときめつけることは妥当ではない。なぜならば、人間は面白くても寝てしまうことがあるからである。たとえば、自身の経験を述べれば、「読後感最高」だったミステリを読んでいたときでさえ、途中で寝てしまったことがある。面白くても眠くなるときは、眠くなることの証である。また、面白くないからといって常に寝てしまうとはいえない。もしそうだとしたら、この世に不眠症などは存在し得ないであろう。つまらないものに触れればすぐに寝られるのだから。この世に不眠症が存在する以上は、「面白くないから眠くなる」という仮説を絶対視することはできない。

では、どうして面白いミステリを読みながら私は寝てしまったのだろうか?種を明かせば、一度目の場合は冬にコタツでミステリを読んでいたときであり、二度目の場合は、バスに乗っているときであった。そう、お気づきのように、眠くなる環境というものがどうしても存在するのである。バスや電車で揺られた経験のある方は身につまされたのではなかろうか?赤ちゃんが親の胸で眠くなるのも一例といえよう。つまり、第一の因子としては眠くなる環境というものが考えられる。教室で言えば、暖かいエアコンや、教室の明るさなどが第一の因子として挙げられる。

しかし、不眠症の人は、必ずしも道路工事の騒音などの環境のせいで眠れないわけではない。ストレスや何らかの病など、その個人が抱えている要因によって眠れない場合が多いだろう。そう、これが第二因子、すなわち個人的要因というものである。睡眠不足の学生、ナルコレプシーにかかっている学生、風邪薬を飲んできた学生、朝食抜きの学生、疲れている学生、などがこの第二因子が主な原因となって眠っているといえよう。

では、第三の因子は何か?これは第一因子に近いが、授業そのもののありかたが第三因子である(2)。先述の「授業が面白くないから眠くなる」という主張は、第三因子のみに注目した仮説である。ただし、面白いか否かだけが第三因子というわけではない。授業の中で活動する場面があるかどうか、映像を見る時間が長すぎないかどうか(3)、声のリズムが眠気を誘わないかどうか、なども第三因子を構成している。

これらの因子単独で、眠気を引き起こせるとは限らない(起こせる場合もあるが。ナルコレプシーなど)。なぜなら、同じ環境、同じ授業でも寝る学生とそうでない学生がいるし、睡眠不足でも平気な学生もそうでない学生もいるからである。このような現象を説明するためには、やはりこの3つの因子が必要である。たとえば、眠くなる環境であっても、個人の体調がよければ眠らずにすむだろう、などと考えることができる。単一因子説より説得的であろう。

この三因子説は授業改善にも役立てることができる。その考え方と実践は次回の投稿で示したい。





(1)予断だが、この仮説を提唱している実に「面白い」先生に出会ったことがある。その人は、自分の授業では学生が寝ないとおっしゃっていた。しかし、私が話したある学生は、その先生の授業で寝たことがある(複数回)といっていた。授業が面白いというよりは、主張が「面白い」。

(2)第一因子と第三因子の境目はあいまいといえば、あいまいである。教員のありかた、授業のやり方に関するものを第三因子としておきたい。それ以外の環境的要因を第一因子とする。両方に重なるもの(教員の声などは、マイクトラブルを考慮するとどちらにも入りそうだ)も無論ある。

(3)部屋が暗くなるため、眠くなる。第一因子とも関連している。
| 教育に関する議論 | 20:20 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
その写真、ちょっと待った(資料の思い込みについて1)
 マジックの本を読んだことがある。そのとき、面白い発見があった。皆さんは、写真で奇術師の手や道具を写して解説した本を最も分かりやすいものだと思うかもしれない。私も初めそう思っていた。ところが、必ずしもそうではなかった。写真よりむしろ、手書きのイラスト入りの解説のほうが分かりやすかったのである。それは無論、写真が不鮮明だったからではない。写真が汚なかったからでもない。

前置きが長くなったが、これは、授業にも関連する論点であると最近気づいた。今回は、その論点を扱いたいと思う。

私たちは、授業の資料を作るときに写真が一番よい資料だと考えがちである。しかし、常にそうとはいえないだろう、ということが今回の投稿の主張である。

写真は、確かにありのままを写すと考えられる。しかし、手品の解説において、すべてがありのままに移っている必要はない。むしろ、ポイントがはっきりとわかればいいのである。手品師の手のしわや質感などは、かえって余計な情報、ノイズである。写真はそういったものまで加工しない限り含んでしまう。そのせいで、かえって分かりづらく、特徴やポイントがつかみづらくなってしまうことがあるのだ。反面、手書きのイラストは厳密ではないが、特徴や著者が強調したいことをすぐにつかむことができる。

授業の資料も同じである。たとえば、背中に細かい毛が生えているとか、足が曲がっているとか、そういった動物の特徴を示す資料を作りたい場合、絵のほうがいいことがある。写真だと、「細かい毛がある」ということのほかに、背中の色や陰影など余計な情報まで伝えてしまい、重要なことが伝わらなくなったり、毛が目立たん縛なってしまったりすることがある。他方で、絵ならば、色や影などの要素を書かずに、細かい毛だけを強調し、示すことができる。つまり、資料に写真ではなく、絵を使うことで、要点や特徴を強調させ、分かりやすく示すことができるのだ。細かい毛を示すためには、たとえば色などいらないばかりか余計である。

しかし、どんな場合でも手書きの絵のほうがよいかというと、そうではない。たとえば、美術史の授業で、絵の見方を資料を通して説明する場合には、無論、写真でなければならないだろうし、もっと言えばカラーの写真のほうが好ましいことは明確である。

要するに、使い分けなければいけないのだ。しかし現在は、手書きの絵を使おうという発想は浮かんでこず、写真を使えばいいという発想ばかりになってきている。写真を使う前にもう一度、その資料の目的を考えて、写真がいいか、手書きの絵がいいか、を考え直すことも必要なのではないだろうか。

付録 写真のよさと、手書き絵のよさ

写真のよさ
・より本物に近いものを示せる
・美しさがある
・細かいところまで再現されやすい
・スキャナーなどを活用すれば、絵を描くほど手間がかからない、また、絵を描くのが下手でも心配はない
・いろいろな情報が入り込むため、それを題材にグループワークやブレーンストーミングなどを仕掛けることができる

手書き絵のよさ
・特徴や、要点だけを示すことができる
・誇張することで、本質を示し、また、記憶しやすくすることができる
・学生が絵を書いて勉強する(ノートにまとめたり、テスト対策をしたり)サンプルになる
・特別な道具がなくても、描く事ができる
・教師の絵を楽しみにしている学生が結構いる(美しければいいのではないという逆説がここにはあるが、その逆説についてもどこかで議論したい)
| 教育に関する議論 | 18:12 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
歴史の教訓
 鎖国は、200年もつづいた。
開国して100年足らず、目の前に焼け野原が現れた。
| そのほか | 00:04 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
よくある奇跡の話
 彼は家を出ようとした。バスの時間まで少ししかない。彼は寝坊してしまったのだ。
彼はあわてて門を出た。しかし、左足の靴紐が解けて転んでしまった。
「クソッ」彼は靴紐を結んで、また走り出した。
また靴紐が解けた。また左足だ。
「ちくしょう」彼は靴紐を結んで、再び走り出した。「左足の馬鹿!」
バス停に着いた。バスはすでに自分の先を走っていた。
そのバスが事故を起こしたことを彼が知ったのは、その日の午後だった。
バスに乗り遅れてよかった、と彼は思った。
| そのほか | 00:04 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
TPPには問題点があるのではなかろうか2
 よく、TPPを実現させればがいこくから低賃金の労働者を雇うことができ、企業は潤うという議論があるが、今回はその議論の怪しさを暴く。

結論から言うと、TPPが実現すればむしろ、外国人労働者の労賃を上げることになるはずである(それ自身は好ましくないとは、無論いえない)。なぜなら、TPPを締結した場合、その中にある「内国民待遇」を完全に承諾しなければならないからである。内国民待遇とは「各加盟国は、別の加盟国のサービス及びサービス提供者に、類似の状況で、自国のサービス及びサービス提供者に認めるのに劣らない待遇を与える。」ことである(1)。

つまり、外国人労働者の待遇は、日本人労働者と同じにしなければならなくなるはずである。サービス提供者にとあるから、労賃にも適用されることもおそらく発生するであろう。

すなわち、「TPPによって外国人を安く雇えるから、TPPを実現すべきだ」という議論は成り立たないといえる。


(1)TPP私訳より。http://nihon-jyoho-bunseki.seesaa.net/article/185460562.html
| そのほか | 09:18 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |